インタビュー / 井上誠と山下靖 / Inoyamaland / ExT Recordings

イノヤマランド井上誠山下靖です。この名義は、この親交が深い二人のそれぞれの本名の一部を組み合わせられた造語であり、「ランド」の部分は恐らく彼ら自身が手がけている音楽を通して描く想像上の牧歌を引用しているのではないかと思います。他ならぬYMOの細野晴臣自身がこの二人組の大絶賛された、未だに人気を誇る、革新的な、1983年に発表したアンビエント・アルバム『Danzindan-Pojidon』を手がけました。

その後の30年の間にイノヤマランドは多くの作品を発表し、少なくともそれが表面的には散発的に見えるかもしれませんが、『Danzindan-Pojidon』の当初の成功のきっかけで彼らはCM、展覧会、ギャラリー、インスタレーション、美術館、劇場用の様々な音楽を制作する引っ切り無しのキャリアを確立させました。2019年にVisibleCloaksのSpencerDoranが監修し、彼らが手がけた幾つかの委託作品を集めた素晴らしい編集盤をLight In TheAtticの傘下レーベル、Empire Of Signsから発表しました。

1990年代後半にイノヤマランドは、最重要のローカル電子音楽を発表するレーベル、Transonic、Zero Gravity、そして最近ではExT Recordingsの創設者である永田和直とのコラボレーションを開始しました。昨年、後者を通じて、彼らは『Swiva』というタイトルの、久々のオリジナル作品満載な新作アルバムを発表し、そのフォローアップとして、今月の初めに素晴らしい新作『Trans Kunang』を発表し、店頭に並ぶ予定です。

彼らは今週土曜日に東京、原宿の Galaxy Gingakeiというスペースで開催する『静音』のイヴェントで出演する予定の4組の「アンビエント」アーティストの内の1組であり、私は井上さんと山下さん二人とこのように話をする事が出来て、大変光栄でした。

inoyamaland new photo

翻訳支援をしてくれた日高健に感謝します。

出身地を教えて下さい。

山下:東京 武蔵野市です。

井上:神奈川県 湯河原町です。 

現在、何方に拠点を置いていますでしょうか?

山下:東京、三鷹市です。

井上:今も湯河原在住です。 

音楽をいつから作り始めたのでしょうか?

山下:即興演奏は14歳から(中2)、作曲は17歳から(高2)です。

井上:父が幼稚園を運営し、家族は園舎の一角に住んでいたので、足踏みオルガンやピアノ、子供用の木琴などは幼児の頃から鳴らして遊んでいましたが、それは音の出る楽しいオモチャとして楽しみました。それらを使って音楽を演奏し始めたのは15才頃です。初めて作曲したのは、1977年のパフォーマンス〝COLLECTING NET”の音楽を山下さんと一緒に担当した時です。

二人はどの楽器を演奏できますでしょうか? 正式なトレーニングを受けた事がありますでしょうか?

山下:大体の楽器は、1度は手にした事があります。8歳から9歳迄ピアノを習っていました。

井上:最初に自分で購入した楽器はRoland System 100 というパッチ式のアナログシンセサイザーです。自分で演奏することより、システムに組み込まれたアナログシークェンサーを使った自動演奏を楽しんでいました。正式なトレーニングを受けた事はありません。

あなたは音楽一家で生まれ育ったのでしょうか?

山下: 我が家は音楽一家ではありませんでしたが、僕が幼少の頃両親はSP盤をよく聞いていたそうです。「白鳥の湖」がかかると、僕はいつも踊っていたそうです。

井上: 家族にミュージシャンはいませんでしたが、母は時々、足踏みオルガンで讃美歌を弾いていました。父はステレオのレコードプレーヤーでライトクラシックなどを聴いていました。むしろ両親共に美術に関心が強かったようです。

二人はどうやって出会ったのでしょうか?

山下:1976年に演劇のスタッフとして出会いました。(山下、音楽担当 井上、美術担当)

井上:その翌年、山下さんが音楽を担当した〝COLLECTING NET” に井上も参加することになり、共同で音楽を作って演奏するようになりました。

イノヤマランドを結成する前は、井上さんと山下さんはヒカシューというグループに所属していました。 なぜ二人ともグループを辞めることにしたのか、そしてイノヤマランドの背後にあるコンセプトについて教えてください。

井上:1977年に井上と山下さんの2人で始めた音楽ユニットは、最初はヒカシューという名前でした。

1978年にはボーカリストの巻上公一さん、ギタリストの海琳正道さん、サックス奏者の戸辺哲さんが加わり、ヒカシューの音楽スタイルはNew Waveに転じました。ヒカシューは、ボーカルの巻上公一さんがリーダーで現在も活動しています。山下さんは1982年にヒカシューを脱退するまでに4枚のアルバムに参加し、この時期のヒカシューの代表的な作品を作曲しました。井上は1991年までヒカシューに在籍し、10枚のアルバムに参加しています。その間もイノヤマランドの活動も並行して続けていましたが、1990年ごろからイノヤマランドへの環境音楽制作の依頼や井上個人の音楽プロデュース作業などが増え、ヒカシューを離れることになりました。井上にとって、イノヤマランドの背後にあるコンセプトは、幼児期の無心の音遊びの記憶です。それが時を経てどのように変節してきたのかを、山下さんとの共同作業の中で再発見することを楽しんでいます。

山下:背後にあるコンセプトは、キーボードを中心としたInstrumentalユニットです。

シンセサイザーやエレクトロニック・ミュージックを初めて興味を持ち始めたのはいつでしょうか?  

山下:シンセサイザーについては、1968年。エレクトロニック・ミュージックについては15歳頃だったと思います。ラジオでシュトックハウゼンの”少年の歌”を聞きました。

井上:ジョージ・ハリスンがビートルズ在籍時に制作した2枚のソロアルバムがきっかけでした。1968年発表のWonderwall Musicではメロトロンによるサウンドコラージュの面白さを知り、1969年のElectronic Soundからは巨大なシンセサイザーによる多彩な音作りの可能性に強く惹かれました。

あなたが最初に所有したシンセは何でしょうか?  

山下:Roland SH-1000 

井上:Roland SYSTEM-100 

あなたは今どんな機材をお持ちでしょうか?  

山下:CASIO TONE 大、中、小の3台。

井上:Roland FANTOM、Kurzweil K2000、YAMAHA DX7、MELLOTRON M400など

貴方にとってのお気に入りの機材は何でしょうか?  

山下:電子キーボード、電子オルガン、ピアノ等 

井上:MELLOTRON音源を内蔵したRoland FANTOM

アンビエント・ミュージックに最初に興味を持ったのはいつですか?  

山下:1967年頃からJohn Cage や La Monte Youngの考え方に興味を持ちはじめました。  

1969 年に小杉武久のアンビエントなパフォーマンスを見ました。  レコードとしては1973年のFripp &Eno “No Pussyfooting”からです。

井上:1976年ごろから音楽の多様な可能性を意識するようになり、西ドイツのジャーマン・ロックやECM Recordsからリリースされた新しいスタイルのジャズ、アジアの民族音楽、中世ヨーロッパの古楽、ニーノロータや伊福部昭の映画音楽に興味を持ちました。それらの中にアンビエント・ミュージックに繋がる新しい音楽のスタイルを感じ取り、同傾向の音楽を探す過程でイーノのアンビエントシリーズに出会いました。 

お気に入りのアンビエント作品はありますか?  

山下:Cluster & Eno等です。 

井上:Music for Airportsです。

イノヤマランドとしてのファースト・アルバムは細野晴臣がプロデュースしました。 細野さんとどのように出会い、どのように一緒に仕事をするようになったのでしょうか?  

山下:細野さんは、上野耕路さんが紹介してくれました。

井上:1981年にイノヤマランドの最初のデモテープを作り、上野耕路さんに渡しました。上野さんは自身の音楽ユニット、ゲルニカのアルバム制作で細野さんと親しくなり、イノヤマランドのデモを細野さんに渡してくれました。

細野さんと一緒に仕事をするのはどうでしたか? 他のプロジェクトで彼と一緒に仕事をした事がありますでしょうか?  

山下:細野さんは当時、ハロルド・バッド等私たちと共通の音楽家に興味を持っていたので、とてもスムーズに仕事が進みました。プロデュースをして頂いた1枚だけで、他のプロジェクトには参加していません。 

細野さんとは今でも連絡を取り合っていますか?  

山下、井上:2018年にイノヤマランドの1stアルバムDANZINDAN POJIDONをニュー・マスター・エディションとしてリリースした時、CDのパッケージに細野さんが推薦文を寄せてくれました。また細野さんが主催するラジオ・プログラムに出演し、30数年ぶりに語り合いました。

1988年の『倦怠感(Recovery Relaxation)』と1997年のイノヤマランドのアルバムの間にはほぼ10年がありました。 その間何をしていましたのでしょうか?  

山下、井上:1988年からイノヤマランドはサウンド・プロセス・デザイン社から環境音楽の制作を依頼されるようになりました。サウンド・プロセス・デザインは1983年に芦川聡さんが設立した環境音楽制作会社で、同年に芦川さんが亡くなった後を田中宗隆さんが引き継ぎました。その会社では吉村弘さんや広瀬豊さんなども音楽制作を行っていました。ちょうどその頃から日本ではバブル経済の影響で国際博覧会のパビリオンや博物館、美術館、大型商業施設などが次々と建設され、イノヤマランドはそれらの施設のための環境音楽作品を作り続けていました。

吉村弘や芦川聡など、Crescent / Wave Notation・レーベルの他のアーティストと友達でしたでしょうか?  

山下:芦川聡さんは、1976年頃にお会いしました。当時はアール・ヴィヴァンの店員さんで、ハリー・パーチ等レコードの輸入をお願いしました。吉村弘さんは1988年に初めてお会いしました。

井上:吉村さんは1998年にイノヤマランドと共同で横浜国際総合競技場の環境音楽を制作しました。  

山下:バンブー・フロム・アジアの関口孝さんとは、ユニットを組んでいた時期もあります。 

彼らといろいろなアイデアを話し合い、共有しましたでしょうか? 当時東京や日本で「アンビエント・ムーブメント」はあった思いますでしょうか?  

山下:吉村弘さんとは感性が似ているところがあり、色々な音楽家や作曲についての話し等をしました。当時、東京や日本で「アンビエント・ムーブメント」は確かにありました。その中心人物は、吉村弘さんでした。

Transonic、次にExT Recordingsを運営している永田一直(永田一直)とどのように出会い、仕事を始めましたか?  

山下:1998年に僕のいとこ甥(Cousin nephew)のスタジオ・エンジニアの益子樹(ますこ たつき)君から永田さんを紹介してもらい、それからの付き合いです。

1998年に発表した『1984 Pithecanthropus』と2018年の『Collecting Net』の発表の間には20年のギャップがありました。 この2作を出した間に、どんな活動をしていたのか教えて下さい。  

山下:サウンド・プロセス・デザインからの依頼で博覧会、博物館等の音楽制作を続けていました。

井上:1998年に『1984 Pithecanthropus』をリリースしたことがきっかけで、ライブパフォーマンスを再開しました。巻上さんのヒカシューと定期的に共演したり、永田さん周辺の若い世代のアーティストとの共演も楽しむようになりました。またこの時期のパフォーマンスの多くをデジタルで記録していたので、それらを2018年以降に次々とCD化しました。

Empire Of Signsが出した自身の音源を集めたコンピレイション『Commissions』について、どう誕生したのかを説明して頂けないでしょうか?  

山下:2017年に初めてSpencer Doranさんからメールを頂いた時に、彼の中ではすでにコンピレイションの原案は出来ていました。その後、東京で彼と会う機会があり、彼の持っていないイノヤマランドの別音源も手渡しました。選曲、曲順、アルバム・タイトル、全てがスペンサーさんの仕事です。

自身の劇場やインスタレーション作品に対する国際的な関心に驚かされましたでしょうか?  

山下、井上:はい。とても驚いています。

過去にあなたの作品について書いたとき、あなたの音楽と同時代の音楽を区別するユーモアのセンスがあると思いました。 これは本当だと思いますか?  

山下:はい。本当だと思います。

あなたはたくさんの音楽を聴いていますか?また、現在気に入っている他の曲を3つ上げてください。  

山下:とても沢山の音楽を聴いています。最近のお気に入りは以下の3曲です。  :

Chromatics / Shadow

Sufjan Stevens & Lowell Brams / The Runaround 

Martin Rev / Sophie Eagle

井上:最近はアンビエント・ミュージックを聴くことはありません。ですから私のお気に入りの3曲はアンビエント・ミュージックではありませんが、私の音楽活動に大きな影響を与えました。

Nino Rota / Fellini Satyricon

Akira Ifukube / La Fontaine Sacree

Matching Mole / O Caroline

新作『トランス・クナン』について詳しく教えてください。  

山下:限られた時間に、限られた音色で作ったアルバムで、全曲が共作です。これは、初の試みです。

井上:2011年の春に東京都心の高層ホテルの環境音楽を制作しました。それはとても気に入った作品でしたが、ホテルが閉館することになりました。そこでメモリアル・アルバムを思い立ち、再構成、再録音を重ねて新しいアルバムに仕上げました。そのエリアの庭園に隣接したエイジャン・レストランで曲想を練ったことや、その当時に山下さんが度々訪れていた東南アジアの印象なども、曲のアレンジに影響しています。 

本作にはコンセプトはありますでしょうか?  

山下:Ambient / New Age がコンセプトです。

井上:閑散としたホテルのラウンジに置かれたジュークボックスからひっそりと自動再生されるための音楽。

録音するのにどれくらい時間がかかりましたでしょうか?  

山下、井上:3ヶ月位です。

あなたにとって、コロナ禍期間は創造的に生産性豊かな期間でしたでしょうか?  

山下:僕にとって今は創造的に生産性豊かな期間ですが、それはコロナ禍期間との関係はありません。むしろ僕が置かれている年齢との関係、と感じています。

井上:外出の機会は減りましたが、今まで経験したことのない多くの雑務に追われていました。しかし生活のサイクルが変わったことで、今まで気づかなかった新たな芸術との出会いはありました。 

124日のギャラクシーでのイベント以外に、他の公演やパフォーマンスの予定は今後ありますでしょうか?。  

山下、井上:12月18日 SUPER DOMMUNE 、12月28日 スター・パインズ・カフェ。

イノヤマランドのTrans Kunangは明日、ExT Recordingsでリリースされます。

INOYAMALAND_Trans Kunang copy

AYANE SHINOのアルバム『Sakura』は、11月26日にMental Groove Recordsからリリースされる。 本作のリリース・パーティが12月4日に東京のギャラリー、Galaxy Gingakeiで開催される。 伝説的な日本のアンビエント・ミュージックの先駆者達、イノヤマランドと小久保隆(両アーティストはLight In The Atticから発表され、米グラミー賞にノミネートされた『環境音楽』に自身の楽曲が収録され、この集大成を通して、世界中にその名を知らしめた)は、Music For Dreamsから発表された日本のチルアウト・コンピレイション『音の和』のスターの一人でもあった有望な新人、Chillaxと共に、このイヴェントのラインアップを共有し、またUnknown Meのメンバーとしても知られている有名なDJ/プロデューサー、YakenoharaもDJとして参加。そして、AYANE SHINOはこのイヴェントのトリを飾る。このイヴェントのGalaxy Gingakeiでの入場は限定50名であり、11月20日(土)からLIVEMINEのサイトにてチケットが先行発売し始め、また同サイトで有料配信も行う予定だ。Lone Starクルーは本イヴェントのDJサポートをする事に光栄に思い、また本イヴェント終了後に原宿のBar Bonoboでアフター・パーティも開催決定だ。

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