ススム ヨコタ / Acid Mt.Fuji = 赤富士 / Sublime と Musicmine

文:Dr Rob

翻訳:Ken Hidaka

著名な電子音楽のプロデューサー、ススム・ヨコタは、1998年にリリースされた自身のアルバム『Image 1983-1998』の解説にテクノへの福音的な改宗について書かれている。アシッド・ハウスを初めて聴いた時、彼はその音楽を視覚化し始めたと描写している。一種の共感覚で、例えばリズムは、飛び跳ねる海老を想像した(1)。尻尾が「キック・ドラム」で、甲殻類の手足がハイハットとスネアだった。彼は一時期、「(自分の)人生自体がテクノそのものになった」と告白し、目が覚めている間、「バンギング」な曲の制作に明け暮れていたという。彼はまた、寝ている間の夢にもこうした反復構造を目にしていたことも明かしている。

ビジュアル・アートの経歴を持ち、グラフィック・デザイナーとして成功を収めたヨコタは、作曲やコラージュのスキルをサンプラーを通して音楽に変換した。何年もの間、創作への欲求を満たす為に他の行動すべてを排除していた。東京の夜の現場に行くと、彼がローランドTB-303を首から下げ、DJがプレイしている曲に合わせて、ヘッドフォンを通して、自分自身しか聞こえない形でジャムっていたのを時々見かけたという逸話は、この彼自身の強迫観念と奇行な性格を面白可笑しく浮き彫りにしている。

これらのエピソードは、1992年の『Brainthump E.P.』から2012年の『Dreamer L.P.』までの間、ヨコタが驚異的で膨大な作品を発表していたことをいくらか説明するのに役立つ。彼は1998年に自身のプライべート・レーベルであるSkintoneを立ち上げるまで、本名を除いて合計11の別名義を使い分け、主にいくつかの日本のレーベルで自身の作品を発表していた。

2000年代に入り、ヨコタは欧米のエレクトロニカ界で高く評価され始めた。これは、彼の繊細で複雑な傑作『Sakura』によるところが大きい。ブライアン・イーノ、フィリップ・グラス、トム・ヨークらは皆、声を大にして彼の有名なファンだった(3)。それ以来、ヨコタが残した諸作品は高い人気を誇っている。

しかし、彼のデビューLPは繊細でも複雑でも全くなかった。逆に、活気に満ちた、叩きつけるトランスだった。ドイツのレーベル、Harthouseは1993年に彼のデビュー作『The Frankfurt-Tokio-Connection』をリリースし、その(産業的な)耐久性が買われ、彼はベルリンのラヴ・パレードでライヴするオファーを受けた。このアルバムと彼自身のその時のライヴは、日本のテクノ・アーティストが国外でも認知されるきっかけとなっ。

ヨコタの2作目『Acid Mt. Fuji』もまた、同じような音色から作られており、非常に重要な作品と今まで評され続けていた。日本のレーベルからリリースされた初のテクノ・アルバムであった。ケン・イシイのアルバム『Reference To Difference』とその栄誉を分かち合っている。当初CDのみで発表されたこの2枚は、同じ日(1994年6月29日)に山崎学が主宰するSublime Recordsからリリースされた。Sublimeは、山崎が運営していたテクノ系のクラブ「Maniac Love」から派生されたもので、当時日本ではそれ自体が画期的だった。
イシイとヨコタは共にManiac Loveのレギュラーで、定期的にライヴ演奏も行った。

本作は、野生動物の口笛、猿の鳴き声、象の咆哮などのSEで幕を開ける。このようなフィールド・レコーディングは、全体的な流れにスパイスと質感を与え、機械を使っているにもかかわらず、自然とのつながりを取り戻したいというヨコタの情熱的な願望を物語っている。リズムはトライバル調に満ちている。しばしばゆっくりと始まり、ほとんど儀式的である。徐々に騒々しく、体を動かすものへと進化していく。シンセはサイレン、ディジュリドゥや蛇使いのようで、渦を巻く、修道僧を彷彿するドローンのようでもある。時には暗い影の隅々までトランス・ダンスする。エコーが洞窟のように感じられることもあり、ところどころで削ぎ落とされたサウンドと相まって、EBM/インダストリアル的な効果もある。「Kinoko」は、正確に落とし込んだロボット的なパーカッションで構成されており、Sabres Of Paradiseのメタリックな瞬間、例えばBjorkの過激なリミックス(4)を思い起こさせる。

『Acid Mt. Fuji』に収録されている全トラックは、狂気に満ちた軍隊行進曲と、Relief Recordsのようなヒストリー発作的なトラックに分かれている。シカゴのGreen VelvetやデトロイトのUnderground Resistanceの傘下レーベル、Red Planetから出ていた作品を連想させる。しかし、最大の類似点はリッチー・ホーティン、そして彼自身のPlastikmanとFUSE名義のプロジェクトである。これは恐らく、ホーティンとヨコタ共に両者の作品では極めて最小限の機材の可能性を探っていたからだろう。ヨコタは頻繁にTR-909をPlastikmanのSpastik名義のように加工し、フィルターをかけている。また、ドラムロールを作るためにディレイを使うという、ホーティンがやったこともしている。時折、ヨコタはオールド・スクールなアシッド・ハウスに似ている曲に近づこうとしたが、その時はピッチを上げた、Plus 8流に扮した。

TB-303を二重奏するヨコタの意地悪で険悪なサウンドは、老舗のジャック(ハウス)というよりは、Harthouseのレーベルの同僚であるHardfloorSven Vathと共通点が多い。「Alphaville」のシンプルなリズムは金床で打ち出され、巨大なベース・ドラムにEQ処理され、プログラムされた濾過、疾走するシンバルやハイハットが幾重にも重なり、更に雷鳴のようなハンド・クラップがドラマと緊張感を加え、盛り上げる。オリジナル・アルバムの閉幕である「Tanuki」は、最も穏やかなグルーヴだ。セミの鳴き声から始まり、スティール・パンのようなかわいらしいチャイムが鳴り響き、サンプリングされた波音へと溶け込んでいく。

(今回再発される)『Acid Mt. Fuji』に収録されているボーナス・トラックは断固として立ち向かうような勢いに満ちている(5)。内省的でも、切なくも、アンビエントでもない。ボーナス・トラックの曲はすべて大箱向けで盛り上げる為に出来ている(6)。イントロが長い曲でさえもそうだ。もし本作を所々駆け足で試聴したとすれば、ボートラには巧妙さに欠けているかと思うかもしれないが、深く聴いてみると、少ない構成要素から魅力的でヒプノティックなトラックを生み出すヨコタの真の才能がはっきりと解る。ループ・パターンと対位法を巧みに、注意深く使うことで複雑さを錯覚させるというこの才能が、彼が後に発表した、よりメロウな曲調を際立たせているのだ。

ススム・ヨコタ『Acid Mt. Fuji』はMusicmineのBandcampページにて直接注文できる。30周年を祝う記念盤にはボーナス・トラックが5曲収録。デジタル盤には更に2曲。『Acid Mt. Fuji』がリリースされた当初、製造工程にいくつかの問題が発生した。当時、日本では誰もテクノのLPをカットしたエンジニアが存在していなかった。その結果、オリジナル・アルバムは完璧というには少し物足りない仕上がりになってしまった。2024のリマスター盤は素晴らしい音質に仕上げられており、Youtubeで上がっている(オリジナル音源の)クリップでは本作の正当な評価ができないと思う。まるで全く違う2枚のアルバムを聴いているようだ。

Susumu Yokota Acid Mt Fuji Sublime Records 2024_08_31

ノート

1.「Ebi 」はヨコタがベルリンを拠点とするレーベル、Space Teddyからリリースしたエモーショナルなトランスを出す為に使った名義である。
2。ススム・ヨコタに関するこの種の逸話を更に読みたいのであれば、2021年に『Wax Poetics』に寄稿されたマーティン・ペッペーレルと日高健介によるヨコタに関する素晴らしく執筆されている記事をご覧頂きたい。
3。ススム・ヨコタはフィリップ・グラスのコンサートをサポートした事がある。
4。アンディ・ウェザオール自身が開催したアシッド・ハウス/異教徒の儀式的なパーティ、「Sabresonic」でヨコタの楽曲をプレイしていた事が昔から有名だ。
5。ライター、クリス・ニーズが『Echoes』に寄稿した同名のテクノ・コラムに敬意を表したい。
6。これらはしばしば、信じがたい、リアル・タイムで演奏されたジャム・セッションの編集である。


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