インタビュー / 伏見 稔

あなたの故郷は何処ですか

神奈川県横須賀市です。

何処で活動してますか

ずっとライブ活動はしていないので、自宅スタジオでした。

音楽を作るようになって何年ですか

最初にカセットデッキ2台を使ったピンポン録音で始めたのが、1979年頃ですね。テクノとかやっていました。

Minoru photo 1 copy

音楽を作るようになったきっかけは何ですか

バンド活動にはあまり興味がなく、ポール・マッカートニーがファーストソロアルバムで多重録音をしたのを聴いて、ずっと憧れていて, ただまだまだ機材も高価だったので諦めていて、79年頃にようやく簡単な方法で始めたのです。

どの機材を使ってましたか?

アルバム収録曲に使ったものは詳しくは「In Praise of Mitochodria」の裏ジャケットに載せていますが、それ以外にも年々増やしていって、最終的には

シンセサイザー=Roland Juno-106, Casio CZ-5000, Ensoniq SQ-80, Yamaha CS-01,
音源モジュール=Yamaha FB-01, Roland MT-32, Emu Proteus, Emu Vintage Keys
サンプラー=Korg SDD-1000, Roland S-50 (keyboard type), S-330

シーケンサー=Yamaha QX-5, Emu SP-1200, Casio CZ-5000のシーケンサー部

ドラムマシンBoss DR-55, DR-550, Roland TR-606, Sequential Circuits Drumtraks, Oberheim DX, Roland R-8, Korg DDD-1, Yamaha RX-11, RX-21L, Alesis D-4, Ishibashi handclapper

ヴォコーダー=Roland SVC-350

エレキギター、エレキベース、三味線

シーケンスソフト=Roland SYS-503,  Vision, Deck II

MTR=TASCAM 22-4 (1/4 inch tape), 33-8( 1/2 inch tape), TSR-8 (1/2 inch tape)

レコーディング・ミキサー TEAC M-09 (4ch), Fostex Model 350 (8ch), Model 812 (12ch), Tascam M-2516 (16ch)

リヴァーブ= Roland Spring reverb, Boss PRV-1, Yamaha R-1000,

ディレイ=Korg SDD-1000

マルチイフェクター=Boss SE-50

イフェクター=BBE Sonic Maximizer 322, Behringer Autocom MDX-1000

minoru Midiverb copy

二台のテープレコーダーだけで始めたが、深みにはまって機材が増えていたと。

最初はバンドで演奏したり一人で弾いたりしていたけれども、だんだんとテクノロジーが発達するにつれて、自分の音楽を作るのにバンドにとらわれれる必要がなくなってきました。実際、すべて自分でやってしまう方が手っ取り早く思えたんです。

エレクトロ・ファンクの中に「死性」みたいなものを感じたんです。通常のファンクにはない何かを。もちろん70年代のファンクも大好きだったんですけども。ファンクって元々結構宇宙志向なところがありますよね、Pファンクみたいに。そこがまた好きで。で、エレクトロ・ファンクはそんな宇宙的あるいは未来的な部分を強めたように思えました。非常に新しいものがそこに聞き取れたんです。

私がエレクトロ・ファンクの中に「死性」をも感じたことに関して、興味深い点があります。近代西欧音楽ではマイナースケールやマイナーコードを「悲しい」感じとしていますが、日本の伝統音楽では全然違って、陰音階ではなく陽音階こそをそれに相当させていたのです。そしてファンクでは主にペンタトニックをリフやフレーズに用いますよね。もう一つ、ニューオリンズのジャズや日本の盆踊りなど、音楽/ダンスが黄泉の国と関わることは世界中に見られる文化ですよね。

日本にはElectro/Hip Hopが流行った時はありますか?

規模はそれぞれ違いますが80年代から現在まで数度ありました。

この音楽はラジオでながされましたか?

いいえ。

大きかったパーティーまたはクラブは何ですか

レコーディング活動のみだったので、ありません。

Major Forceを知ってますか

当時、音を聴いたことがあります。

他にこの音楽を作ってる重要な日本人アーティストはいますか

たぶん、自分は変わり者の音楽なので、いないと思います(苦笑)

なぜ「フードゥー」という名を?

ジュニア・ウェルズのアルバムタイトル「フードゥーマン・ブルース」からです。あのアルバムが大好きで。

「ミトコンドリア讃」とはなぜ?

ファーストアルバムのA面はファンクに根ざした音楽的実験をしたつもりで、また同時に当時自分が興味があった科学的なことをテーマにしたかったんです。学生時代に理科系はまったく苦手だったけれども、それ故にか自然科学が自分にとってとても神秘的なんです。

B面ではファンク以外のロックやブルースやラップといった別の嗜好を持ってきました。

ミトコンドリアが我々の身体細胞で司っている重要な役割を知った時にはとても驚いたし、彼らを「賞賛」したくなったんです。「しんぞーさん」(自分の心臓)も同様です。自分の歌詞は実体験に基づいているものが多いんです。心臓の具合が悪くなったことがあって、その時に「ああ、自分の意思で動かしているわけではないな。どうにもならないな。」と痛感して。普段動いているのが当たり前に思いがちな自分の心臓に敬意を払いたくなり。

「愛は脳震盪」も、後方から激突されて脳震盪で倒れたという実体験に基づいているんですが、細かく話すとこのインタビューの時間には収まらないですね、ハハハ。

「ヘモグロビン…」の曲では、当時親知らずが埋まっているということで大きな歯科総合病院に行かされ、3時間の手術を受けたんですが、動脈を傷つけたそうで出血が止まらず、帰宅後も大出血で病院に戻ると医師が集まってきて右往左往、結局入院となりいろんな止血手段、数日後なんとか止まったんですが、死にそうでした。あの時溢れてくる真っ赤な血を見て、ぼんやりと「この赤い色には何か意味があるのだろう」と思っていたのを歌詞にしました。

日本で自分のレーベルを作るのはどのくらい大変でしたか

そうでもなかったです。

あなたのレコードは日本でよく売れましたか
一応作った分は売れたと思います。特に、サードアルバムの頃はちょうどレンタル店が出現した時で、レンタルCDとしてよく流通したようです。

ライブはやりましたか

いいえ。

まだ音楽は作っていますか

息子が高校生ですがラッパーとしても活動しているので、それが刺激になってまた私も作り始めました(笑

※ Lick-G でネットで検索すれば、いろいろ記事や音源が出てきます。

息子さんはあなたの音楽を好きですか?

はい、現在は。以前は「オールドスクールすぎる」と思っていたようですが、最近自分が好きなラッパーがオールドスクールの影響を出したりしてるので興味を持ったり、ヒップホップ以外の多ジャンルの音楽にも興味が出てきたようで。

近年は楽器を製作しています。伝統楽器も新しいタイプの楽器も作ります。琵琶やウード、そしてその二つを統合させた新楽器です。

Minoru Biwa copy

かつてサンプリングしていただけに、そういう伝統的な楽器に興味を持ったのです。日本の伝統的歌唱声をサンプリングしていた時、自分でこれができたらどんなに良いだろうと思っていました。で、琵琶の師匠に出会ったのです。彼はすでに93歳でしたが、年齢を感じさせない歌と演奏は素晴らしかった。「老いるほどに磨かれる芸」という日本伝統音楽の奥義を見た思いでした。

20年ぐらい前に、93歳の師匠の下、びわの稽古を始めました。日本の伝統的な音楽を学びたかったのです。びわとは、実は生まれたときからの縁があります。父方の祖父は、私が生まれる前に他界したのですが、漢方と針の医師でした。とても有名で、遠くから沢山の患者さんが来たそうです。祖父は、びわを作り、弾き、教えてもいました。亡くなった後、びわは私の叔父に譲られ、それを見た私は幼児ながらも興味を持ちました。私が結婚するとき、叔父はびわをくれました。4枚目のアルバムがリリースされたころです。それで、自分の音楽を作るよりも、びわへの興味が強くなりました。93歳のびわの師匠が亡くなってからは、びわの親戚ともいえるウードに興味を持ち、トルコに学びに行きました。

Minoru grandfather copy

母方の祖父は、高校で英語とスペイン語を教えていました。その影響もあって、私も英語の教師になりました。

Minoru Maternal Grandfather

父方と母方の両方の祖父から、遺伝を受けているように思います 笑。

今気にっているパーティーをする場所は何処ですか

数年前にたまたま夜に演奏活動をして、次の朝に心臓にトラブルが起こり、専門病院に行き数年治療を受け、

それ以来夜の外出と飲酒(もともとあまり飲むほうではなかったですが)は完全に絶っています。そのおかげで現在はとても健康です。10年以上前に琵琶を学び、その後トルコでウードを学んだので、この二つの楽器の演奏活動は時々してきました。

その後エレクトロ・ファンクを制作しなくなったのはなぜ?

実のところ、93年つまり4枚目を出した次の年ですが、システムをコンピュータ・ベースのものに移行したんです。それまでの膨大な機材を設置できる場所もすでになくなっていたし、コンパクトなシステムが魅力的に思えたので。新しくマッキントッシュとソフトを買い込んで(LAまで行きました)。

で、始めたよいけどパソコンと悪戦苦闘、長い時間をかけても全然進まず、一曲も完成できない。クラッシュしたりフリーズしたりの連続で。後悔すでに遅し、もうほとんどの機材(特にMTR)は手放した後で。結局6種類のソフトを買ったけど、どれも使いこなせませんでした。

Minoru photo 2 copy

それって、「何か別のことをすべき」という運命だったようにも思えますが

コンピュータ・ベースのシステムに移行しなければ、確実にエレクトロ・ファンクは作り続けていたでしょうね。アイディアはたくさんあったし。でも機材を使いこなせない苛立ちの中でそれは消えてしまいました。テープ録音システムから離れたことを深く後悔しましたね。

でも、もしそうならなければ琵琶とウードには進まなかったでしょうね。

その通りです。あと、エレクトロ・ミュージックに関して思うところは…  確かに作曲するのは我々人間です、でもシーケンサーは自らが動く。しんぞーさん同様に。機械の方が「道を示す」ことさえあり。例えば、間違ったデータを入れたとするでしょう、でも逆にそれがカッコイイものになる場合もある。新しい感じで。こちらが予期したもの以上になることも。自分の力だけでやっている時よりも良いものが。機械との対話みたいなものです。

電子、原子、量子力学といったものに興味があります。微粒子に間の関係とか。電子音は単なる反復だという人もいますが、僕はもっとこう何か有機的なものを感じますね。電子だって自然のものわけですし。たとえばTR-909や808といったドラムマシーンには固有のビート感があります。機械は自主独立体であって、生き物なんです。

それは現代的神道みたいなものですね。

まさに!

minoru photo 3

Minoru Fushimi`s In Praise Of Mitochondria is in shops now, care of Left Ear Records. 

Minoru hand makes his own instruments which you can purchase here

Minoru 'Hoodoo' Fushimi - In Praise of Mitochondria

 

 

One thought on “インタビュー / 伏見 稔

  1. ●DAWと異なり、ドラムマシンに固有のビート感がある(デジタル音源をサンプルした物でも)ことには触れましたが、もう少し補足すると、特にアナログ音源の物には経年変化も含む個体差があり、これまた面白い部分です。次の動画はそれがわかりやすいです。https://m.youtube.com/watch?v=sciiYSLu4Fs&feature=share

    ●また、「エレクトロ音楽が死性を感じさせる」ことをもう少し詳しく述べると、死は永遠でありスイッチを押せば人力演奏と違って延々と演奏を続けるエレクトロはそれを連想させる、というのもあります。

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