インタビュー / Takeshi Nishimoto – by Ken Hidaka

インタビューは Ken Hidaka

福岡出身であるものの、これまでの人生のほとんどを海外で過ごし、今もドイツにて世界中 で賞賛を浴びている『I’m not a gun』での活動、さらに日本やアメリカ等、ギタリスト として世界中で公演やレコーディングに参加し活躍しているTakeshi Nishimoto。2005年に20年間滞在したアメリカを離れ、ベルリン(ドイツ)へ移住し独自のプロデュー ス、公演活動を展開する。 現在は公演活動のほか、アート作品に添える音楽や映画のサウ ンドトラックも手掛けるなど、ドイツにて活動の幅を着実に広げる。La Route du Rock (France) , Sonar Sound Tokyo (Japan), Dublin Electronic Arts Festival (Ireland), Moving Closer (Poland) など多数フェスへ出演。現在は3rdソロ・アルバムを仕上げると同時に多彩なアーティストとのコラボレーション、コ ンサート活動を行なっている。2018年より東京在住。

私は、日本のレーベル、Advanced Public Listening Recordsと仕事をし始めた時に西本さんにご紹介してくれました。このレーベルが最近発売されたコンピレイション『ON IN OUT』に西本さんがロジャー・ドューリングとコラボレートした作品が2曲フィーチャーしています。レーベル主宰のミホ・メポさんは、昔ベルリンに住んでいた頃からの西本さんの旧友です。それ以前に西本さんのことをCity Center Officeから発表したジョン・テハーダとのコラボレーション・アルバムで名前は聞いたことがありました。私はこの『ON IN OUT』に収録されている西本さんの2曲が凄く気に入っていて、最近彼はドミューンで2回ほどライブを観ました。一つ目は、去年の11月に行われたOnpaレーベルのショーケースの時と1月に開催した『ON IN OUT』の発売記念イヴェントでです。ドミューンでのアンビエント・ギター・ライブ、両方共気に入っていたので、今回の初のZIM ZAM ZU!のイヴェントで演奏してくれたら最高だと思い、西本さんを誘いました。

出身地を教えて下さい。 

福岡市で生まれました。 

現在、何方に拠点を置いていますでしょうか? 

2018年から東京に住んでます 

音楽を作るようになってから何年経ちますでしょうか?

1985年からカセットテープ式の MTRを使用して音楽制作をしてましたので、38年近くなります。Fostex製のカセットテープを使用した4trackマルチレコーダーを持ってました。

音楽を作るようになったきっかけを教えて下さい

はじめの頃の音楽体験はバンドで演奏、そして個人練習でした。そして、いい友人を通して多重録音に出会いました。

どんな機材を初めた頃に使ってましたでしょうか?

家には、母の持ってたとてもいいアップライトピアノがあった以外は半壊のクラシックギターがありました。そして、貰ったベースギターと、その後自分でバイトして買った練習用のベースアンプがありました。

演奏家の活動を始めた時、特に気に入っていた・影響を受けたアーティストはいましたでしょうか? 

1985年にイギリスのパンク・シーン、そしてニューヨークのアンダーグラウンド・シーンと当時の日本の音楽に夢中になりました。高校生のとき、ヴェルべット・アンダーグラウンド、ルー・リード、ジョン・ケイル、ジミ・ヘンドリックス、ローリング・ストーンズ、ビートルズ、ザ・フー、テレビジョン、ジェフ・ベックに夢中になりました… 

特に尊敬しているギタリストはいますか? 

そこには非常に多くの素晴らしいギタリストがいますが、ほんの数例を挙げると:パット・マルティーノ、ジョン・マクラフリン、ジョー・ディオリオ、フィル・アップチャーチ、ジョージ・ベンソン、ジミー・レイニー、ヤマジ・カズヒデ、内橋和久、土屋昌巳 – 過去の私のギター教師全員- ペペ・ロメロ、ジェームス・スミス、ブライアン・ヘッド、スコット・テナント、ビル・カネンガイザーリストは続きます。Phil Upchurchは今でも私のメンターであり、私の親友の1人です。

最初に何処でライブ演奏をしましたでしょうか? 

福岡市高砂にあった グリーンビレッジというライブハウスです。

その頃にどんな音楽を演奏していたのでしょうか? 

ハードコアパンクでした。

パンクロックからアンビエントへのジャンプはかなりのジャンプですか? 「アンビエント」ミュージックに最初に興味を持ったのはいつ、そしてなぜですか? 

振り返ってみると、当時私が夢中になっていたのは、パンクロックのエネルギーと考え方だったと確信しております。「アンビエントミュージック」とは、ご存じのとおり、さまざまな意味を持っています。昔は「BGM」という意味だったので、あまり注目されませんでした。物事は「新古典主義」または「ポストモダン」という用語で変化しました。個人的には、大音量でも静かな囁きでも、いつも音楽の力を楽しんでいます。魔法はいつでもそこにあります。そして私にとって、ソフトなアンビエント音楽は大音量のロック音楽と同じくらい強力です。 

takeshi nishimoto photo

どうやってロサンゼルスにたどり着いたのですか? 

父の仕事のおかげで、私はニューヨーク市で形成期を過ごしました。それから8歳半の時に日本に戻り、中学生になるまで何度も転校しました。20代前半は高給の仕事をしていたので、人生は大丈夫でしたが、残りの人生をずっと日本で過ごす事を想像できませんでした。それで私は仕事を辞め、1994年にロサンゼルスに引っ越しました。そこでは誰も知りませんでしたが、サンタモニカ市立大学にアメリカ文学専攻として入学しました。1年後、USCソーントン音楽学校でクラシック・ギターを学ぶための特別奨学金プログラムのオーディションを受けました。入って、本当に何かだと思って、真剣にギターの練習を始めました。 

ジョン・テハダとどのようにつながりましたか? あなたはまだ連絡を取り合っていますか? 

私たちには共通の友人がいて、彼は1998年に私のギグの1つに来ました。そのギグでは、シタール奏者とタブラ奏者と一緒に、北インド古典音楽をギターで演奏してました。ジョンは私の演奏を気に入ってくれた様でした。そして、演奏の後とてもいい会話、空気感を共にしました。翌週、彼は私を彼のスタジオに招待し、私は彼のさまざまな楽器の演奏能力、そして彼の素晴らしい音楽について知りました。それ以来、私たちは定期的にレコーディングセッションのために集まりました。これらのいくつかは、7th City、Plug Researchなどのレーベルで発表され、その後、City Center OfficesやPaletteRecordingsで、I’m Not A Gunという名前で発表されました。ジョンは、今でも、地球上で最も親しい友人の1人です。 

Advance Public Listening Recordsをどのように使い始めましたか?

2005年にベルリンに引っ越したとき、Advance Public Listening Recordsのオーナーである美穂さんに会いました。ベルリンでの生活はロサンゼルスからの大きな変化でした。そこでたくさんの素晴らしい人たちと出会い、一緒に仕事をしました。私は2018年までそこにいました。 

バーント・フリードマンとはどのように出会いましたか? もう一度、あなたはまだ連絡を取り合っていますか? 

2007年にデンマークのオーフスで開催されたエレクトロニックアーツジャズフェスティバルと呼ばれるフェスティバルで出会いました。私はロジャー・ドリングとデュオとして演奏し、バーントはヤキ・リーベツァイトと演奏するためにそこにいました。私は彼らのコンサートにとても感銘を受けたので、私は彼のところに行って、ショーにどれほど感謝しているかを彼に話しました。バーントは I’m Not A Gun としての私の仕事を知っていて、私たちはとても打ち解けました。私たちは当時ベルリンに住んでいて、彼は私が彼と一緒に走ることを提案しました – 彼は健康についてとても関心が深いです。少しして、彼は私をサロード奏者として、彼のレコーディングに参加するように誘いました。数年後、私は彼に私のセカンド・ソロ・アルバム、Robert Lippokも共同プロデュースとして参加i頂きました”Lavandula”の制作を手伝ってくれるよう頼みました。2013年にベルリンのレーベル Sonic Piecesからリリースされました。今では、私たちのどちらもベルリンに住んでいないにもかかわらず、私たちはまだ連絡を取り合っています。 

今、コラボレーションに取り組んでいますか? 

はい、現在いくつかのプロジェクトが進行中です。うまくいけば、私はそれらをもうすぐ発表することができます。

あなたは今どんな機器を持っていますか? お気に入りの機材はありますか? 

数本のギターが東京にあります、残りはまだベルリンにあります。そしてフレットレスベース、サロード(北インド古典楽器)、ペアのモニタースピーカーたち、エフェクター、そしてオーディオインターフェースが東京にあります。私の使用してます一つ一つの機材のにとても意味がありますので、どれが一番好きというのはありません。ただ、機会によって選択するものはあります。

たくさん音楽を聴いていますか? 現在楽しんでいる曲を3曲教えていただけませんか?

Andy Rinehart / Jason’s Chord

Jean-Rodolphe Kars / Claude Debussy Preludes, Books 1&2 

今度ボノボで開催される初のZim Zam Zu!のパーティで、どんなライヴを披露しようと考えているのでしょうか?

当日演奏してみたい数曲は既に考えております。演奏するスペースの雰囲気を確認するという意味でセットの始まりは、軽い即興演奏になると思います。そして続きの数曲は既に書かれた曲と、モチーフと即興から出来てる曲たちのミックスになると考えております。いくつかの曲は、セカンドアルバム Lavandula からになります。 そして、あとは、新曲や即興演奏になると思います。

2022年の残りのあなたの計画は何ですか? たくさんのギグが並んでいますか? レコーディングは計画されていますか? 

COVIDのせいでずっと行けてなかったベルリンに3年ぶりに行く予定です。3枚目のソロ・アルバムを完成させるのは間違いなく今年の計画です。また、もっとコンサートをしたり、Zim Zam Zuなどのライブ・イベントに参加したいです。この素晴らしい機会をありがとうございました!

ZIM ZAM ZU!とは、Max Essa、Dr. RobとKen Hidakaがホストする、Bar Bonoboで新たに5月7日(土)からスタートするNUパーティ。新しい音楽旋風を起こそうと試みようとしている、この3人がセレクトする、ライヴ演奏を行う国内在住の演奏家やDJを中心に招き、彼らをプロモーションする新感覚イヴェントだ。

第1回目には2人のギタリスト、KashifTakeshi Nishimotoを招く。Kashifによる定評なギターDJセットを1階で披露し、2階のチルアウト畳部屋ではTakeshi Nishimotoの極上アンビエント・ライヴが堪能される予定。お見逃しなく! そして、OATHの人気パーティ、GOOD COMPANY BROADCAST GROUPをゲストDJとして招き、この主催者の3人と合わせ、音楽的にコイー~内容の、ロッキングなイヴェントになるように目指している!是非!

Zim Zam Zu may2022Final copy

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